江
出典: Jinkawiki
江は別名、崇源院(すうげんいん)とも呼ばれる。ただ、世間一般では、江姫(ごうひめ)や、お江(ごう)の方として、知られている。1573年に生まれてから、1626年に没するまで激動の人生を過ごす。 浅井長政の三女として生まれる。長女には淀君(茶々)、次女には初(京極高次正室)をもつ。 お江は、3人姉妹で一番最初に御嫁として佐治一成のもとへ行く。これが12歳の時である。しかし、結婚もつかの間、同年に佐治一成は羽柴秀吉の怒りを買い、所領没収となり、秀吉も力で離別させられることになる。20歳になり、2度目の結婚として豊臣秀勝と結ばれる。しかし、この結婚も4か月という短い間で幕を閉じる。秀勝の病死が原因である。
二度目の婚姻相手は豊臣秀勝で、娘の完子が生まれる。三度目は江戸幕府二代将軍徳川秀忠と文禄4年(1595年)再々嫁し、秀忠の正室(継室)となる。この時、江が徳川秀忠と再々婚したことで、娘の完子は伯母の淀殿に引き取られ養われる。
江戸幕府第三代将軍徳川家光の母、第109代明正天皇の外祖母である。
出典 日本歴史 武将・人物伝~戦国武将 お江、小督、お江与の方 http://www.jpreki.com/jp/
天正元年(1573年) - 寛永3年9月15日(1626年11月3日))は、安土桃山時代から江戸時代初期の女性。一般には「として知られる。位階は従一位。
母は織田信秀の娘・市(織田信長の妹)。長姉の淀殿(茶々)は豊臣秀吉側室、次姉・常高院(初)は京極高次正室。猶女に鷹司孝子がいる。
徳川秀忠