森永ヒ素ミルク事件
出典: Jinkawiki
概要
1955年(昭和30年)、森永乳業が製造した乳児用粉ミルクによって生じた人災的ヒ素中毒事件。 森永乳業徳島工場で原乳の乳質安定剤(酸度安定剤)の第二リン酸ソーダを検査なしに使用したため、 粉ミルク製造工程で「森永ドライミルクMF缶」にヒ素が混入した事件。 西日本で衰弱死や肝臓肥大を起こす乳幼児が続出した。 被害は西日本を中心に1都2府25県にわたり、乳児133人が死亡、 人工栄養児1万2131名が被害を受け、中毒にかかった。 世界最大級の食品公害となった。患者は、現在も脳性麻痺・知的発達障害・てんかん ・脳波異常・精神疾患等の重複障害に苦しみ、手足の動かない日常を強いられている。 さらに、就職差別や結婚差別を受けたり、施設に送られた被害者や、 ミルクを飲ませた自責の念で今もなお精神的に苦しんだりしている被害者の親も多い。