ベートーベン
出典: Jinkawiki
ドイツの作曲家。フルネームはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンという。盛期古典派から初期ロマン派への転換期に56歳の生涯を送ったベートーベンは、古典派音楽様式を極点にまで高めるとともに、19世紀の音楽家たちにとっての偶像的な存在となり、後世に無限の広範な影響を与えた。
ベートーベンの生涯
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーベンは1770年12月17日前後に、神聖ローマ帝国ケルン大司教領のボンで音楽家の家系に誕生した。ベートーベンの祖父ルートヴィヒは宮廷歌手として成功しており、生計を支えていた。 1773年、一家を支えていた祖父ルートヴィヒが他界し、生活が苦しくなり、当時、天才音楽家として有名だったモーツァルトにヒントを得て、モーツァルトと同じように、ベートーベンにも音楽教育をはじめる。 ベートーベンを第2のモーツァルトにするため、父親ヨハンの音楽教育はとても苛烈で成功していたとは言いがたいものだったが、ベートーベンは早熟の天才として才能を開花させていき、1787年、16歳のベートーベンはウィーンを訪れ、憧れのモーツァルトと対面を果たす。 1792年7月、ベートーベンはハイドンに才能を認められ、ハイドンに弟子入りすることになり、11月には弟2人と一緒に、音楽の都であるウィーンへと移住した。 ハイドンに弟子入りし、本格的に音楽を学んだベートーベンは、1794年、はじめて「ピアノ三重奏曲」を作曲し、少年演奏家から音楽家へと歩み始めることになる。
28歳になったベートーベンは、耳が聞こえづらいことに気付き、30歳になるころには、ほとんど耳が聞こえなくなっていた。強い絶望を感じて、自殺を考えたことがあったが、演奏を中心とした音楽家から、作曲を専門にする音楽家へと転進することを決意する。 1804年、交響曲第3番を発表したのを皮切りに、難聴と向きあい、次々と曲を作り上げていったが、40代になると、体調の悪化や、甥のカールの養育権争いなどにより、作曲が滞っていた。 1826年12月、ベートーベンは肺炎を患い、「諸君、喝采を。喜劇の終わりだ」と呟いた後、56歳の生涯を終えることとなる。死ぬまでの約10年間にわたる時期は、「傑作の森」と呼ばれ「エロイカ」「運命」「田園」などの交響曲やピアノソナタなどが作られ、ベートーベンの黄金期といわれている。
引用参考
完全攻略ベートーベン http://www.beethovenmaster.com/