ノート:アラブの春3

出典: Jinkawiki

2018年1月22日 (月) 14:24 の版; 最新版を表示
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概略

アラブの春とは、2010年末から2012年にかけて、北アフリカおよび中東で起きた一連の体制に対する抗議運動である。1968年に自由を求めたチェコスロバキアの人々による政治改革運動「プラハの春」になぞられている。 一方、「アラブの春」はチュニジアから始まり、エジプト、シリア、リビア、イエメン、ヨルダンなどに及び、政権が倒された国もあれば、いまだ内戦状態に陥っている国や運動が抑えこまれた国もある。「春」というのは、西洋で伝統的に体制に対する民衆の抗議運動のことを指す。

事件の発端と背景

アラブの春の発端は2010年12月チュニジアから始まる。失業中のムハンマド・ブーアズィーズィー(当時26歳)は路上で果物野菜を売っていたが、無許可であったため政府による取り調べを受けた。商品没収、女性警官からの暴行、賄賂要求をされた。その後彼は一連のことに抗議して焼身自殺をした。 この背景にベン・アリー政権が23年という長期政権で政権は腐敗していた。一族の財産や後ろ盾のアメリカが支持していないことをウィキリークスによって暴露され、批判は高まり、大統領支持率も低くなった。 チュニジアの経済状況は悪くなくとも、失業率は14パーセント前後で高く、特に若年層の失業率は25~30パーセントとかなり高い状況だった。30歳以下の若年人口が5割といわれるチュニジアでは全人口の1割は失業者で一家に1人は失業者がいるのが普通の状況だった。大学を卒業したのに職がなく路上商売をしてたブーアズィーズィーの行動は、そうした民衆にとって身近な話題であった。 タブーについて アラブにおいて焼身自殺はタブーとされる。理由の1つとして、イスラム教では自殺が禁じられている。(自爆テロはジハードとして認識されるため例外とされる。)その上、イスラム教では最後の審判の日に死者は甦るとされているため、甦るための身体がない焼身自殺をし、2つもタブーを犯していることになる。


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