中東戦争6
出典: Jinkawiki
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1. 概要 ______________ 中東戦争は、イスラエルとアラブ諸国との戦いである。1948年から1973年まで断続的に4回の戦争が起こった。長い間、イェルサレムなどの聖地が含まれるパレスチナ地域は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が互いに領有を所望しつつ、共存していた。しかし、第一次世界大戦でオスマン帝国が西欧列強に敗れた後に、パレスチナがイギリスの委任統治領として植民地化になったことで状況が一変することになる。第二次世界大戦に関してはイギリスによる三枚舌外交がきっかけにパレスチナ問題が起こる。戦後には、ユダヤ人の入植が激増し、1947年国連がパレスチナ分割案を採択。翌年パレスチナにイスラエルの建国が宣言されると、アラブ側が反発し第一次中東戦争が起こるという流れになっていく。 2. 第一次中東戦争 ______________ パレスチナ戦争ともいう。パレスチナ分割案によるイスラエルの独立宣言をきっかけにそれを認めない周辺アラブ諸国がパレスチナに侵攻し勃発した。アラブ側からエジプト・サウジアラビア・イラク・トランスヨルダン・レバノンなどからなる軍隊で、15万以上の兵力、イスラエル側の3万人弱の兵力と言われている。数ではアラブ側が有利であったが、連携が低下。数で劣ったイスラエルだが、イギリスやアメリカの支援のもと、この戦争に勝利し、国連分割で提示された以上の領土を手にすることとなった。 3. 第二次中東戦争 ______________ スエズ戦争ともいう。エジプトの新しいアスワン=ハイ=ダムがイギリスとアメリカの協力の下で建設される予定であったが、エジプトが東側から、この計画が頓挫。対抗措置としてエジプト大統領ナセルがスエズ運河の国有化を宣言したのがきっかけに。イスラエルによるシナイ半島への進行により勃発。しかし、軍事介入したイギリス・フランス、ソ連やアメリカまでも非難され、同年のうちに国連の停戦決議を行け入れることになった。これがPKOの起源である。 4. 第三次中東戦争 ______________ 勝敗が6日でついたために別名六日戦争とも呼ばれている。ゴラン高原のユダヤ人入植を巡ってイスラエルとアラブの緊張が高まったことがきっかけである。イスラエルのエジプト・シリア・イラク・ヨルダンの空軍基地に先制攻撃により勃発。これによりイスラエルは戦前に比べて4倍以上の領土を獲得したことになる。 5. 第四次中東戦争 ______________ 10月に勃発したので10月戦争ともいう。第三次中東戦争で惨敗したアラブ側が反撃した戦いである。前戦争の反省から地対空ミサイルを揃え、徹底した防空体制で地上軍を支援するという対策を練った。この作戦は成功し、イスラエル軍は大打撃を受けることになる。アラブ諸国はさらに、戦争を有利に進めるためにイスラエルを支援する西側諸国への石油対策を行い、世界ではオイルショックが起こる。
参考文献 http://manapedia.jp/text/1907 高橋正男(2008)「物語 イスラエルの歴史―アブラハムから中東戦争へ 」中公新書 木村靖二(2015)「世界史B」山川出版
mk