出典: Jinkawiki
2019年1月18日 (金) 10:28 の版;
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北方領土問題の契機
択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島には第二次世界大戦前、約一万七千人の日本人が住んでいた。大戦末期の1945年八月九日、ソ連は。日ソ中立条約を破棄して日本に参戦。日本はその直後、日本の主権を本州、北海道、九州、四国と「われら(米英中)の決定する諸小島」に限定したポツダム宣言を受諾し降伏した。ところが、その後もソ連は攻撃を続け、「降伏文書調印式」が行われた九月二日までに、国後・択捉・色丹の三島をその三日後の九月五日には歯舞をも占領した。日本政府は、歴史上、国際法上も、北方領土は日本の領土だとしてソ連・ロシアに対して返還を求めている。