ベトナム戦争

出典: Jinkawiki

ベトナム戦争とは

 1958年から1975年まで続いたベトナムの南北統一をめぐって争われた戦争である。北を支援したのがソ連・中国の共産主義国であり、南を支援したのがアメリカだった。アメリカがベトナムに介入した理由は、いわゆる「ドミノ理論」という東南アジアにおける共産主義の拡大を阻止することがアメリカの利益につながる(インドシナを失えば、タイ・ビルマ〈現ミャンマー〉などの近隣諸国も共産主義の手に落ちる)という考えや、資本主義経済を構築するために不可欠とおもわれた日本の経済再建を、日本に東南アジアという市場を与えることによって達成しようとした構想を無駄にしかねない脅威を排除したかったこと、またアメリカの経済を活性化させるために軍事複合体を基盤にして経済的に潤おうとした考えなどがある。   

ケネディ、ジョンソン、ニクソンというアメリカでは3代の大統領がこの戦争に関与し、多い時には年間54万人の軍隊が派遣された。それにともないこの戦争では死者も多く撤退したアメリカ人で6万人近い死者を出し、南北ベトナム人に関しては200万人近い死者をだした。また、今でも後遺症に苦しんでいる人は数多くいる。



戦後直後には、アメリカでいわゆるベトナム・シンドロームとよばれるベトナム戦争を一刻でも忘れたいという考え方が浸透していて、戦争を総括するとか、責任を追及するなどという行為はせず、戦争そのものをテーマとする映画は一切製作されなかった。間もなくして、アメリカはベトナム戦争を忘れようとしても忘れられないほど深く傷ついていることを自覚ることになり、自覚して初めて傷をいやしてくれる指導者や映画を求め、80年代の映画「ランボー」等は忘れられない戦争としての表現だったといえよう。そして戦後25年を通過した今日でもベトナム戦争はベトナム国内や在米ベトナム人の間でもなお論争的さ戦争であり、個々のアイデンティティーと深く結びついている。


   関連人物について

  ・ジョン・ケネディー       アメリカ第35代大統領であり、当時の社会情勢に最も関与した大統領かもしれない。「アメリカから遠く離れた戦争にさぜ関与しなけえばならないのか」、あるいは「なぜせんそうはこんなにも長引くのか」等の質問が国内からも現れはじめ、彼の手腕によって終わりが見え始めていた時、暗殺されてしまうことになる。


  ・リンドン・ジョンソン      結果的に戦闘の拡大を招いたのがジョンソン大統領である。アメリカ国内外のマスコミから連日のようにベトナム戦争への対応のまずさを批判されるようになった。この影響を受けて、ジョンソンはテレビ放送によって北爆部分的中止を発表するのである。また、この年に行われる民主党大統領候補としての再指名を求めないことを発表した。このことにより、アメリカ国内の世論分裂の拡大を挙げた。


 ・リチャード・ニクソン    ケネディー死後、一時的にジョンソンが大統領になったが、強い反戦運動が続く中、これ以上戦争を続けるわけにはいかないと判断し、54万人に達していた陸上兵力削減に取り掛かり、ベトナム戦争を終結させた。



  ・ホー・チ・ミン

      「自由と独立ほど尊いものはない」の発言に、その精神を死ぬまで集約させた人物である。彼の指導したベトナムの戦いは、「冷戦構造」をつきぬけて民族統一をめざし、ベトナムのみならず、世界が「大国主導」から解き放たれる条件形成におおきな役割を果たした。彼はベトナムの勝利を生きている間は見ることができなかったが、彼の死は世界中の多くの人を悲しませた。彼は、「戦うこと」と「愛すること」を同時に体得した指導者であった。革命の道を示したのが彼の役割であった。






 私がベトナム戦争について感じたことを述べたいと思う。それは「人間的な、あまりに人間的な戦争である」ということだ。人間的というのは人間の精神状態との関連性と、戦争によって与えられた感情とが組み合わされて起こる人の心を操る特徴をここではあらわすことにする。まず、ある実際に起こった事例を述べてみたいと思う。    

私がベトナム戦争について調べていくうちにあるエピソードが目にとまった。それは、「殺害された解放戦線士の肝臓を政府軍兵士たちが生で食べた」ということだ。理由としては、本当に敵の肝臓を食べると戦死しないという、誰もが誤りだと感じる情報を当時の兵士たちが信じたということである。なぜ子供でもわかるようなこのような誤報をみんな信じたのであろうか。私はそれは、当時のベトナム戦争があまりにも人間の感情、つまり精神面に与える影響があまりにも強すぎたせいだと思う。極限の恐怖や絶望をあじわった人たちは、自分の理性や感情がうまく機能しないのだと思う。また、この事例はすべての戦争論を説明する上で重要なことだと思う。

例としてドイツのナチス政権でのヒトラーの行為についてふれてみたい。彼もよくよく考えてみると、誰もがおかしいと感じるような国内のユダヤ人虐殺を試みている。なぜ多くのドイツ市民が彼の行為を是正したのだろうか。理由としては、彼の演説の仕方に関連性があったのではないかと私は思う。つまり彼はある技をつかったのだ。どうすれば人の心を操れるのか彼は知っていたのだ。私はテレビ番組でヒトラーの演説方法をみたことがある。内容として印象深いのは、音声を拡大して、より人々の精神面に訴えかけるということである。 このことから考えてみると、ベトナム戦争の戦時下では、人々は、特に兵士は本当に必要なものはなんなのかを知り、実際にそれを行えていたのか疑問に思えてしまう。しかし、多勢の兵士たちの中でも、ベトナム戦争の危機感を感じていた人も少なくないはずだ。けれど彼らの多くは軍の司令にもとずき、いわゆる北ベトナム軍の殺害を行わなければならなかったのだと思う。「自由の国アメリカ」という言葉をよく耳にするが、どこまでが自由なのか、兵士たちはベトナム戦争をしたいのか、命令はどこまでが通用するのか、私を含め多くの人たちが理解しがたいのがこの質問なのではないだろうか。


また、ベトナム戦争時のベトナム市民、及びベトコン達のテロ行為について触れていきたいと思う。当時のアメリカ兵は「道路沿いの政府軍陣地を攻撃し、戦士した解放戦線士の見せしめに遺体を道に放置していた」のである。これを実際に目でみたベトナム市民たちはどのような思いを抱いたのであろうか。私は、やはり当時その場にいて、ベトナム市民の立場で 見なければわからない感情を抱いていたと思う。しかし、多勢の市民も兵士に逆らうことはできないのだ。殺される恐怖を知り、なおかつ自分の意思を示すことができないベトナム市民は、この戦争の一番の被害者であろう。


また、彼らの意思は「デモ行為」に表れている。自らの想いを形にするために仏教徒たちは市民の目の前で、正確に述べると、アメリカ大使館の前で次々と焼身自殺を行っている。焼身自殺を行うほど、私たちに訴えかけたいことが強いということを表しているのだ。仏教というのは「縁起」という概念に見られるとうり、人々との関連性を大事にしている宗教である。仏教徒たちの焼身自殺を見て、アメリカのマダム・ヌー夫人は「あんなのただのバーベキューだ」という発言をしている。このような、非見識かつ無慈悲な発言に対してアメリカのケネディー大統領は激怒したらしい。


アメリカのでは、このベトナム戦争は「敗戦」ではなく「失敗」という形で終わらせたかったらしいが、この戦争から見直すためにいわゆる「これからについて」の課題が数多く残っているだろう。先ほどものべたが、戦時においては、正しい考えができないかもしれない。私としては、「少数意見」を積極的に取り入れることが一番大事なことだと思う。その戦争とはかかわりのない国が仲介の役割をもって平和な解決策をねることが必要なのではないだろうか。現在メディアは「チベットの中国からの独立」について討議がなされている。ベトナム戦争を学んでから、この問題を考えてみることは私自身とても面白いことだと思う。


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