太平洋戦争5
出典: Jinkawiki
太平洋戦争
太平洋戦争(たいへいようせんそう) 1941年12月8日、日本海軍のハワイ攻撃と陸軍のマレー半島・タイのシンゴラ上陸により開始。1942年2月までに香港・マニラ・シンガポールを占領。1942年から日本戦局不利、1945年8月ポツダム宣言受諾で戦争終結。日本では太平洋戦争と称した。また、この戦争はアジア諸民族への侵略と対英米戦争の二面性を持つとし、アジア・太平洋戦争の呼称が提唱されている。
主な戦い
真珠湾攻撃(しんじゅわんこうげき) 1941年12月8日、連合艦隊司令長官山本五十六の作戦構想のもとに日本海軍の機動部隊が航空機を主力にアメリカへ奇襲攻撃を敢行、ハワイの真珠湾を根拠地とするアメリカ太平洋艦隊の主力を壊滅。以後、緒戦を有利に導く。
マリアナ沖海戦(まりあなおきかいせん) 1944年6月、サイパン島を含むマリアナ海峡で戦われた日米空母艦隊の大海戦。日本の空母・艦載機の多くが撃墜され、壊滅的打撃を受けた。日本本土防衛が危くなる絶対国防圏とされたサイパン島陥落で、アメリカ軍機の本土空襲が激しくなった。
沖縄戦(おきなわせん) 1945年3月26日、アメリカ軍は慶良間列島上陸を開始、4月1日、沖縄本島上陸。6月23日、日本守備軍約10万人が玉砕。現地召集の郷土防衛隊や男女生徒も戦闘に参加。この間約10万人の県民が死に、渡嘉敷・久米島の守備隊による住民殺害事件も起こった。
本土空襲(ほんどくうしゅう) アメリカ軍の大型爆撃機B29が中国基地から北九州を爆撃したのに始まり、1944年11月にはマリアナ基地から東京を初爆撃するなど、主要都市のほとんどにわたって終戦までに連続的に行われた。アメリカ側記録で出撃3万機。日本人は庭などに防空壕を掘り、防空演習を行ったが無力だった。
~戦争の終わり~
ポツダム宣言(ぽつだむせんげん) 1945年7月、ベルリン郊外のポツダムで、トルーマン。チャーチル・スターリンが、欧州の戦後処理と対日戦終方策を討議。7月26日、英米中3国の名で日本に降伏を勧告。終戦の条件として、軍国主義の絶滅、領土制限、民主化促進などを列挙。日本政府は8月14日、これを受諾して無条件降伏。戦後、占領政策の基点となった。
参考文献
太平洋戦争の盲点とその戦略的解答 太平洋戦争 太平洋戦争の真実
HN.WP