佐賀空襲

出典: Jinkawiki

(版間での差分)
2015年7月31日 (金) 21:28の版
Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録)

← 前の差分へ
最新版
Bunkyo-studen2014 (ノート | 投稿記録)

3 行 3 行
65機の米軍機B29の編隊が飛来、現在の佐賀市川副町や同市諸富町を中心に焼夷弾を投下し、61人が死亡、443戸が焼失した。 65機の米軍機B29の編隊が飛来、現在の佐賀市川副町や同市諸富町を中心に焼夷弾を投下し、61人が死亡、443戸が焼失した。
-作戦任務第312号、参加部隊は第58航空団。+== 概要 ==
 + 
 +==== 作戦任務第312号 ====
 + 
 +# 日付 1945年8月5・6日
 +# 目標 佐賀市街地
 +# 参加部隊 第58航空団
 +# 出撃機数 65機
 +# 第一目標爆撃機数の割合 96.92%(63機)
 +# 爆弾の型と信管 M19 500ポンド焼夷収束弾 目標上空5,000フィートで解束するようセット。<br>T4E4 500ポンド破片収束弾 投下3,000フィートで解束するようセット。<br>M64 500ポンド通常爆弾 無延期弾底と近接信管弾頭
 +# 投下爆弾トン数 458.9トン
 +# 第一目標上空時間 5日23時41分~23時56分
 +# 攻撃高度 12,400~15,500フィート
 +# 目標上空の天候 0/10-9/10
 +# 損失機数合計 1機
=== 備考 === === 備考 ===
15 行 29 行
小山仁示訳『日本空襲の全容』東方出版 小山仁示訳『日本空襲の全容』東方出版
-国立国会図書館デジタルコレクション[http://rnavi.ndl.go.jp/kensei/entry/USB-5.php]+太平洋戦争研究会『アメリカ軍の日本焦土作戦』河出書房新社

最新版

佐賀空襲は、1945年8月5日午後11時台から翌6日の午前1時ごろにかけて、佐賀市周辺に行われた空襲。

65機の米軍機B29の編隊が飛来、現在の佐賀市川副町や同市諸富町を中心に焼夷弾を投下し、61人が死亡、443戸が焼失した。

目次

概要

作戦任務第312号

  1. 日付 1945年8月5・6日
  2. 目標 佐賀市街地
  3. 参加部隊 第58航空団
  4. 出撃機数 65機
  5. 第一目標爆撃機数の割合 96.92%(63機)
  6. 爆弾の型と信管 M19 500ポンド焼夷収束弾 目標上空5,000フィートで解束するようセット。
    T4E4 500ポンド破片収束弾 投下3,000フィートで解束するようセット。
    M64 500ポンド通常爆弾 無延期弾底と近接信管弾頭
  7. 投下爆弾トン数 458.9トン
  8. 第一目標上空時間 5日23時41分~23時56分
  9. 攻撃高度 12,400~15,500フィート
  10. 目標上空の天候 0/10-9/10
  11. 損失機数合計 1機

備考

本来の標的は同市中心部の市街地だったが、灯火管制が完全でB-29が目標を確認できず、周辺地帯へ投弾した結果、佐賀市街地の焼失面積無しということになった。

ただし周辺の寺社なども被害を受け、上記の通り多くの死傷者をだしている。

参考資料

小山仁示訳『日本空襲の全容』東方出版

太平洋戦争研究会『アメリカ軍の日本焦土作戦』河出書房新社


  人間科学大事典

    ---50音の分類リンク---
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                  
                          
                  
          

  構成